遠い日の思い出と、市原の歴史
- 214 名前:0436名無しさん 投稿日: 2006/10/17(火) 20:28:01
- >>188
>新しい橋上の「五井駅」ができる前の昔の「国鉄五井駅」のこと、駅舎や駅前等の思い出など聞かせてください。写真があるかいませんか、どこかの本等に載ってないでしょうか・。今のトイレのあるあたりに木造平屋建てでありました。
駅を出て左奥、姉ヶ崎よりにトイレがあります。姉ヶ崎寄りに小湊線と国鉄線(1,2番線)と駅舎を結ぶ、板壁の幅1〜2間くらいの薄暗い跨線橋がありました。板壁は蒸気機関車の煙で真っ黒でした。当時は房総西線といっていました。
房総西線が五井(木更津)まで複線電化したのは昭和43年7月(五井まで複線化は昭和40年7月)です。
http://www.city.ichihara.chiba.jp/graph/0110/journal01.html
その跨線橋を降りて10メートル位の場所に、木造一階建てスレート屋根の小さな駅がありました。八幡宿、浜野の駅もほぼ同じで、昔の小さな国鉄の駅は、標準的なつくりでしょう。木造スレート引きという点で小湊線の駅のような感じです。
駅舎内は、ベンチの置いてある待合スペースと駅務室(切符売場)、それに改札があります。改札は2つか3つくらいだったと思います。ホームに向かって左・東京方面が切符売り場、右(姉ヶ崎方面)が]待合室でした。売店が合ったかどうか覚えていません。
改札を出て左手跨線橋に向かうのですが、右手は線路切替えの黒く2メートルくらいのレバーが会って、駅員が力いっぱい切替えるのです。(その後昭和に40年代に自動信号化したが)
蒸気機関車時代、蒸気機関車が入ってくる時はもうもうとした黒煙ですので、その時跨線橋(側板の上はマドのように開いていた)を避けるように急いで渡った。
昭和30年代くらいまでは、駅前の道は狭く混雑していました。両側に板塀があって、20年代は、よくバナナの叩き売りの店が沢山出てました。店といえるようなものは見当たらない寂れた漁村町の駅でした。昭和30年代から高度成長時代に入るわけですが、特筆すべき事は、戦後の高度成長時代は五井から始まったということが出来ます。
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